双極性障害の刺激疲労|“普通に生きる”だけで消耗していた

人混み。 会話。 電車。 LINEの通知音。 スーパーで流れる、あの音。

そういう「ただの日常」だけで、脳が疲れ切ってしまうことがあります。

双極性障害になってから、私はこの感覚をはっきり意識するようになりました。
何か特別なことをしたわけじゃない。
ただ外に出て、人と話して、帰ってきただけ。
それなのに、家に着くころには何も考えられなくなっている。

最初は、自分がおかしいだけだと思っていました。
でも、たぶんそれだけではなかった気がします。

この記事では、双極性障害の「刺激疲労」について、
私の実体験をもとに書いていきます。
うまく言葉にできない疲れを抱えている人に、少しでも届けばと思っています。


双極性障害の「刺激疲労」とは?

結論から書くと、刺激疲労とは
「人・音・情報を処理するだけで脳が消耗してしまう状態」
のことだと、私は考えています。

医学的に確立された正式な病名というわけではありません。
ただ、双極性障害の脳疲労やブレインフォグと地続きの感覚として、
当事者の間では実感を持って語られることが多い気がします。

人・音・情報を処理するだけで脳が疲弊する

私たちの脳は、起きている間ずっと情報を処理しています。
誰かの声、背景の音、目に入る文字、スマホの通知。
普段は無意識にさばいているものです。

でも双極性障害になってから、
その「無意識の処理」が、
うまく自動化されなくなった感覚があります。

たとえば、健康だったころは聞き流せていたスーパーのBGM。
今はそれが、ひとつひとつ脳に刺さってくる。
情報量が多い場所にいるだけで、頭の中が渋滞していくような感じです。

「双極性障害は疲れやすい」とよく言われます。
その疲れやすさの一部は、この情報処理の負荷から来ているのかもしれません。
私の場合、これは脳への刺激との戦いとして、
長く向き合ってきたテーマでもあります。

「普通の刺激」が強すぎる状態になっていた

ここで大事なのは、刺激そのものが強くなったわけではない、ということです。

人混みも、電車も、通知音も、昔から同じくらいの強さだったはずです。
変わったのは、私の脳の側でした。

イメージとしては、音量つまみが勝手に上がってしまった状態に近いと思います。
他の人にとっての「普通の音量」が、
私にとっては「うるさい音量」になっている。

つらいのは、見た目には何も起きていないことです。
本人の中だけで、刺激が膨らんでいる。
だから周りには伝わりにくいし、
自分でも「まだ耐えられる」と片づけてしまいがちなんですよね。


私が刺激疲労を強く感じる場面

ここからは、私自身が刺激疲労を強く感じる具体的な場面を書いていきます。
同じような場面でしんどさを感じている人がいたら、それは決して気のせいではないと思います。

人混みや電車だけで、脳が削られる

一番わかりやすいのは、人混みと電車です。

満員電車に乗ると、目的地に着く前から疲れています。
誰かと話したわけでも、重いものを持ったわけでもないのに。

たぶん、視界に入る人の数、音、揺れ、距離の近さ。
そういうものを処理し続けるだけで、
脳のエネルギーが削られているのだと思います。

以前別記事でさらっとカミングアウトしましたが、
私は聴覚過敏ですので適度に静かな場所でないと精神が削れます。

バスや電車での脳疲労については、
別の記事でもう少し詳しく書いています。

休日に少し遠出をすると、帰宅後はもう何もできません。
楽しかったはずなのに、体は「もう無理」と言っている。
この落差に、最初はかなり戸惑いました。

会話が続くと、頭が真っ白になる

会話も、私にとっては大きな刺激です。

短いやりとりなら平気です。
でも、会話が一定時間を超えて続くと、ある瞬間から頭が真っ白になります。

相手の言葉は聞こえているのに、意味として入ってこない。
返事を考えようとしても、言葉がうまく出てこない。
いわゆるブレインフォグに近い状態だと思います。
会話の途中で頭が固まる、会話のブレインフリーズのような感覚です。

会話は「聞く・考える・話す」を同時にやり続ける作業です。
双極性障害の脳にとっては、想像以上に重い処理なのかもしれません。
楽しい会話でも疲れる、というのが、なかなか説明しづらいところです。

LINE通知やSNSでも神経が休まらない

意外と見落とされがちなのが、家にいるときの刺激です。

家にいれば休めるかというと、そうとも限りません。
LINEの通知、SNSのタイムライン、ニュースの見出し。
スマホを開くたびに、小さな刺激が積み重なっていきます。

「返さなきゃ」という気持ちだけで、神経が張り続ける。
情報疲れという言葉がありますが、まさにそれだと思います。
私自身、脳疲労でLINEが返せない状態になることが、今でもあります。

体は座っているのに、脳だけがずっと働いている。
これでは、休んでいるようで休めていないんですよね。


「頑張れば慣れる」と思っていた

ここまで読んで、「それなら刺激を避ければいい」と思うかもしれません。
でも私は長いあいだ、その逆をしていました。

「みんな普通にできている」が苦しかった

一番苦しかったのは、「みんな普通にできている」という事実でした。

同じ電車に乗って、同じように会話して、平気そうにしている人がたくさんいる。
それを見ると、疲れている自分のほうがおかしいのだと感じてしまう。

自分はおかしい。おかしいことは罪だ。疲労で普通を演じきれない自分が嫌い。
そう自分を責める時間が、かなり長かったです。

罪悪感を抱えながら、無理に予定を入れて、無理に人と会う。
今振り返ると、その頑張りが回復を遠ざけていた気もします。

刺激に耐え続けた結果、脳が動かなくなった

「頑張れば慣れる」と信じて、刺激に耐え続けた結果どうなったか。

ある時期から、外出した日は本当に何もできなくなりました。
帰宅して、そのまま動けない。 家事も、考えることすら難しい。

これはもう、慣れる慣れないの問題ではなかったのだと思います。
脳が「これ以上は無理」と、自分でブレーキをかけたのかもしれません。

限界というのは、ある日いきなり来るというより、
静かに積み上がっていくものなんですよね。
だからこそ、ライフチャートで自分の状態を記録することが、
後になって役に立った気がします。


回復に必要だったのは、“気合い”ではなく安全基地だった

ここが、この記事で一番伝えたい部分かもしれません。

私の回復のきっかけは、もっと頑張ることではありませんでした。
むしろ逆で、「刺激から脳を守れる場所」を持てたことでした。

静かな時間で、ようやく神経が休まった

最初に効果を感じたのは、ただ静かにする時間でした。

照明を少し落として、音を消して、スマホを別の部屋に置く。 それだけの時間です。

最初は「こんなことで休めるのかな」と半信半疑でした。
でも続けてみると、張り詰めていた神経が、少しずつほどけていく感覚がありました。

一人と二匹の時間、静かな場所。
そういうものが、薬や気合いとは別のかたちで、私を支えてくれた気がします。
脳疲労を回復させる習慣については、別の記事にもう少しまとめています。

刺激を減らして初めて、回復が始まった

ここで気づいたことがあります。
それは、刺激を減らすことは「逃げ」ではなく
「回復の前提条件」だということです。

傷を治すには、まず傷口に触れないことが必要です。
それと同じで、疲れた脳を休めるには、まず刺激を減らすしかない。

刺激を減らして初めて、回復のスタート地点に立てた。
そんな感覚が、今ははっきりあります。
生活防衛という言葉が、私にはしっくりきます。

猫といる時だけ、“警戒”を下ろせた

そしてもうひとつ、大きかったのが猫の存在です。

我が家には猫がいます。
不思議なもので、猫といる時間だけは、
神経の「警戒」が自然と下りていく感じがあるんですよね。

猫は、こちらに何も求めてきません。
気の利いた返事もいらないし、テンポよく話す必要もない。
ただ同じ空間にいて、たまに寄ってくる。

人といると無意識に張ってしまう緊張が、猫の前では緩む。
癒しという言葉では少し足りない気もしますが、
私にとって猫は、確かな安全基地のひとつになっています。
不安なときに猫がそばにいてくれることについては、別の記事でも書きました。


今は「壊れないための生活」を優先している

刺激疲労と長く付き合ってきて、今の私の生活はだいぶ変わりました。

予定を減らし、刺激量を調整するようになった

まず、予定を意識的に減らすようになりました。

以前は、空いている日があると不安で、つい予定を入れていました。
でも今は、「予定そのものが刺激量だ」と考えるようにしています。

外出した翌日は、何も入れない。
人と会う日が続いたら、その後は意識して一人の時間を取る。
無理しない、というより、刺激の総量を管理しているイメージです。
2時間半の長話で支払った代償を経験してから、この感覚はより強くなりました。

距離を取ることに、以前ほど罪悪感を持たなくなりました。 これは、自分にとって小さくない変化だと思います。

「普通に戻る」より、「壊れない」が大事だった

昔の私は、「早く普通に戻りたい」とずっと思っていました。

でも今は、少し考え方が変わっています。
目標は「普通に戻る」ことではなく、「壊れないこと」になりました。

生きづらさが完全に消えるわけではありません。
それでも、自分を守る選択を積み重ねていれば、
大きく崩れることは減ってきた気がします。

これは、社会との距離の取り方を考え直したこととも、
つながっている気がします。

派手な回復ではないけれど、これはこれで、ひとつの前進なのかもしれません。


まとめ|双極性障害の脳には、“刺激を減らせる環境”が必要だった

最後に、この記事の要点をまとめます。
結論だけ知りたい人は、ここだけ読んでもらえれば大丈夫です。

  • 刺激疲労は、怠けではなく脳の消耗だった
  • 「普通の日常」が、知らないうちに刺激過多になっていた
  • 回復には、気合いより「安全基地」と「静かな時間」が必要だった
  • 今は「普通に戻る」より「壊れない」を優先している

刺激疲労は、目に見えません。
だから周りにも伝わりにくいし、自分でも責めてしまいやすい。
でも、それは確かに存在する脳の疲れなのだと、私は思っています。

双極性障害の脳疲労やブレインフォグについては、別の記事でも書いています。
気力がない日や、外出後に動けない日の過ごし方についても、
いずれ触れていけたらと思います。

今も疲れる日はあります。 それは変わりません。

でも、「刺激から脳を守る」という感覚を持てるようになってから。
少しだけ、生きやすくなった気がします。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

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この記事を書いた人

「双極性障害」「老猫介護」「ペットロス」「脳疲労」。

このブログでは、
混合状態や在宅生活の中で感じたことを、
猫たちとの暮らしと一緒に記録しています。

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