長いあいだ、私は「もっと頑張れば治る」と思っていました。
動けない日が続くと、自分を責めました。 気合いが足りない。 甘えている。
そんな言葉を、自分にだけは何度もぶつけていた気がします。
でも、今になって思うのは少し違うことです。
足りなかったのは気合いではなく、
「回復できる環境」そのものだったのかもしれません。
この記事では、双極性障害の私が「休んでも回復しなかった理由」と、
「安心できる場所」がどう回復の土台になったのかを書いています。
結論を先に言うと、必要だったのは努力ではなく、
神経を緩められる“安全基地”でした。
「普通に頑張る」が、ずっと苦しかった
人に合わせ続けて、常に神経が張っていた
私は人付き合いで、いつも疲れていました。
会話そのものより、空気を読むことに神経を使っていた気がします。
相手の機嫌、場の温度、次にどう返すか。
頭の中では、ずっと小さな計算が動いていました。
双極性障害の人が「人付き合いに疲れる」と言うとき、
それはサボりたいわけではないと思います。
むしろ逆で、まじめに反応しすぎているのかもしれません。
緊張しやすい体質ではなく、常に緊張する“環境”に置かれ続けていた。
今はそう感じています。
「みんなできているのに」で自分を追い込んでいた
いちばん自分を削っていたのは、「みんなできているのに」という言葉でした。
普通に働いて、普通に人と会って、普通に休日を過ごす。
それが当たり前のように見えて、私はそこで何度もつまずきました。
その度に、罪悪感が積もっていったんですよね。
ただ、ここで一つだけ書いておきたいことがあります。
双極性障害は「甘え」ではなく、脳の働きに関わる状態だと言われています。
気持ちの問題に見えても、実際は気持ちだけの問題ではない。
むしろ深刻な病気と言えるでしょう。
「みんな」と比べる物差しを持ち続けるかぎり、自分を責める材料は無くならない。 そのことに気づくまで、ずいぶん時間がかかりました。
休んでも回復しなかった理由
脳がずっと“戦闘態勢”のままだった
「ちゃんと休んでいるのに、なぜか回復しない」。
そういう時期が、私には長くありました。
布団に入っても、休日を確保しても、
頭の奥が休まっていない感じがしたんです。
これは、脳が“戦闘態勢”のままだったからかもしれません。
双極性障害では、脳が疲れやすく、
刺激に弱くなることがあると言われています。
緊張のスイッチが入りっぱなしだと、
体だけ横になっても脳は働き続けます。
たとえば実家にいた頃の私が、まさにそうでした。
双極性障害の元父が家にいる。いつ怒鳴られるかわからない。
もしかしたら私のバイトが終わって帰ったら
母や弟たちや猫たちが酷い目にあわされているのではないか。
そう思うといつどこにいても気が休まらない。
「休む場所」と「安心できる場所」は、別物なのかもしれない、
と今は思います。
人混みや音だけで、脳が削られていった
特別なことをしなくても、私は疲れていきました。
人混み。 電車の中。 生活音や、店内の音楽。
そういう刺激だけで、脳が少しずつ削られていく感覚がありました。
音に敏感なのは、性格が神経質だからではないと思います。
脳が情報を処理しきれず、容量がいっぱいになっているだけなのかもしれません。
電車に乗っただけでぐったりする日。
それは怠けではなく、すでに脳が働いた後の状態なんですよね。
「休む=怠け」だと思っていた
それでも私は、長いあいだ休めませんでした。
「休む=怠け」だと、どこかで思い込んでいたからです。
少しでも動けると、すぐに焦りが出てきました。
今のうちに何かしないと。 このまま置いていかれる。
そんな不安が、いつも背中にありました。
でも、焦って動いた後ほど、強い波が来ていた気がします。
休まないことが、回復を遠ざけていたのかもしれません。
安心できる場所で、初めて神経が緩んだ
静かな時間があると、頭のノイズが減った
変化は、静かな時間から始まりました。
一人で、誰にも反応しなくていい時間。
それを少し確保しただけで、頭の中のノイズが減っていったんです。
双極性障害の回復方法というと、薬や生活リズムの話が多いと思います。
それも大事だと思います。
ただ私の場合は、「刺激の少ない時間」をどれだけ持てるかが、
地味に効いていた気がします。
静かな場所は、何もしていないようで、
たぶん何かを回復させているんですよね。
猫といる時間だけは、“警戒”を下ろせた
そして、私にとって大きかったのが猫の存在でした。
猫といる時間だけは、なぜか“警戒”を下ろせたんです。
猫は、空気を読ませてきません。
こちらの機嫌をうかがわないし、気の利いた返事も求めてこない。
ただ同じ部屋で、勝手に寝ているだけです。
その「何も要求されない感じ」が、私には安心感そのものでした。
癒しというと少し軽い言葉に聞こえるかもしれません。 でも、神経が緩む相手が一ついるだけで、生活はずいぶん違うものになりました。
「何もしなくていい場所」が必要だった
そこでようやく気づいたことがあります。
私に必要だったのは、「何もしなくていい場所」でした。
頑張る場所でも、評価される場所でもなく、
ただ存在していていい場所。
心理学では、こうした安心の拠点を「安全基地」と呼ぶことがあるそうです。
帰れる場所があるから、人は外に出ていける。
逆に言えば、安全基地がないまま戦い続けると、
いつか壊れてしまうのかもしれません。
居場所とは、物理的な部屋のことだけではない。
そう考えるようになりました。
回復に必要だったのは、“努力”より生活防衛だった
刺激を減らすことで、ようやく回復が始まった
回復が動き出したのは、何かを増やした時ではありませんでした。
むしろ、減らした時です。
予定を減らす。 情報を減らす。
人と会う回数を、少しだけ減らす。
スマホから流れてくる情報の量も、
思っていた以上に脳を疲れさせていた気がします。
これはサボりではなく、生活防衛なんですよね。
回復のための“引き算”だと、私は思っています。
「壊れないための距離感」を覚え始めた
同時に、距離感も少しずつ覚えていきました。
無理をしそうな時に、一歩引く。
合わない相手とは、距離を取る。
全部に応えようとしない。
以前の私なら、それを冷たい態度だと感じていたと思います。
でも今は、これは自分を守る行動だと思えるようになりました。
壊れてから休むより、壊れない距離を保つほうが、
結局は穏やかでいられる気がします。
まとめ|“安心できる場所”が、回復の土台だった
最後に、ここまでの話を短くまとめておきます。
- 双極性障害の脳は、気合いだけでは回復しなかった
- 常に緊張していると、休んでも休めていない状態になりやすい
- 安心できる場所や静かな時間が、神経を回復させてくれた
- 回復には努力より、刺激を減らす“生活防衛”が効いた
私はずっと、頑張りが足りないから治らないのだと思っていました。
本当は、安心して緩める場所が無かっただけなのかもしれません。
今でも、波はあります。 気分が落ちる日も、焦る日もあります。
ただ、“安全基地”と呼べる場所や時間を持てるようになってから、
前より少しだけ壊れにくくなった気がします。
回復は、まっすぐ進むものではないのかもしれません。
それでも、帰れる安心できる場所が一つあること。
それだけで、また明日に向き合える日があるんですよね。

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