うつ病は40℃の熱と同じ|実際はもっと厄介だった話
ネットでよく見かける言葉があります。
「うつ病は、40℃の高熱を出しながら働いているようなもの」
実体験しておよそ15年。
40℃の熱という例えでも、足りないくらいだと身に染みています。
この記事では、その「40℃の熱」という言葉を、経験をもとに少しずつほどいていきます。
結論を先に書くと、うつ病や双極性障害は高熱に似ているけれど、高熱より厄介な部分がいくつもある、という話です。
なぜ「うつ病は40℃の熱」と例えられるのか
体が重い、思考が止まる、音がうるさい
まず、この例えが共感を集める理由から。
調子が悪い日、体は本当に重くなります。
布団から起き上がるのに、ずいぶん時間がかかる。
高熱のときの、あの「体が言うことを聞かない」感覚にとても近いです。
それだけじゃありません。
- 思考が途中で止まる
- 会話をしているだけで苦しい
- 冷蔵庫の音や時計の音が、やけにうるさい
- 文字を読んでも、頭に入ってこない
熱が出たとき、テレビの音を大きく感じたり、
人と話すのが億劫になったりした経験は、多くの人にあると思います。
あの感じが、ずっと続く。それがイメージとして近いのだと思います。
「気合い」ではなく、脳のエネルギー切れ
ここで大事なのは、これが精神論ではない、ということです。
うつ病や双極性障害のしんどさは、「やる気がない」のとは少し違います。
私の感覚で言うと、脳のエネルギーが切れているような状態に近いです。
スマホのバッテリーが赤くなって、画面が暗くなっていくときの、あの感じ。
やる気を出そうとしても、出す元になるエネルギー自体が残っていない。
だから「40℃の熱」という例えがしっくりくるんですよね。
熱があるとき、誰も「気合いで治せ」とは言わないので。
双極性障害は「単なる落ち込み」と誤解されやすい病気です。脳の疲労という視点については、別記事「双極性障害の脳疲労が限界に来た時、私がやっている対処と気づき」でも書いています。
でも実際は、高熱より厄介だった
ここからが、この記事でいちばん書きたかったところです。
「40℃の熱と同じ」という例えは分かりやすい。でも実際に体験してみると、高熱とは違う、厄介な部分がいくつもありました。
外から見えない、検査に映らない
40℃の熱なら、いいことが一つあります。見えるということです。
体温計に数字が出る。顔も赤くなる。
周りもすぐに「これは休んだほうがいい」と分かってくれる。
検査をすれば原因が分かることも多い。
数日で回復する前提で、みんなが動いてくれます。
うつ病や双極性障害は、そうはいきません。
外見では分かりにくい。
血液検査の数字に、はっきり出るわけでもない。
しかも波があるので、「元気そうに見える日」がある。
長期化することも多い。
そして、いくら説明しても、なかなか伝わらない。
熱なら、布団に入って休める。
でも精神疾患は、布団の外で「普通の顔」を求められ続けます。
ここが、いちばん違うところだと思います。
「普通の顔」を求められ続ける
高熱で寝込んでいる人に、「会議に出て」とは言いません。
でも、うつ状態の人には、わりと普通に予定が入ってきます。
本人も、断ると角が立つ気がして、つい引き受けてしまう。
そして、その「普通の顔」を保つこと自体に、
エネルギーをごっそり持っていかれます。
崩れた表情を見せないように、声のトーンを保って、相づちを打つ。
それだけで、もう一日分のエネルギーが終わってしまう日があります。
双極性障害は「高熱+暴走」の日もある
ここで、双極性障害に特有の話を少し。
うつ病が「高熱」だとすると、
双極性障害には、それに「暴走」が加わる日があります。
具体的には、こんな感じです。
- 体は疲れきっているのに、眠れない
- 頭の中だけが、やけに高速で回り続ける
- 理由のない焦燥感がある
- 何かしていないと落ち着かず、止まれない
- 音や光、人の言葉に過敏になる
これは、ただの落ち込みとは違います。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態、
と言われることもあります。
混合状態と呼ばれるこの時期は、
私にとってはいちばんしんどい時間かもしれません。
熱でぐったりしているなら、まだ「休む」という選択肢があります。
でも、頭だけが暴走しているときは、休もうとしても休めない。
そこが厄介なんですよね。
混合状態のしんどさについては、「双極性障害の混合状態|症状とその過ごし方」で詳しく書いています。
一番つらいのは「怠け」に見えることだった
正直に書くと、いちばんこたえたのは、症状そのものよりも、それが「怠け」に見えてしまうことでした。
たとえば、こういう日があります。
- 何日もお風呂に入れない
- 来たLINEに、返事ができない
- すぐ近くのスーパーに、行けない
- 予定が一つあるだけで、その日が消耗で終わる
外から見れば、ただサボっているように見えるかもしれません。
でも、自分の中ではこれが全力です。
お風呂に入る、という工程のために、何時間も体に言い聞かせている。
うちには猫がいます。猫のごはんとトイレだけは、なんとかやる。
それで、その日のエネルギーはもう残っていない。
残りの自分のことは、後回しになります。
「猫の世話はできるのに、自分のことはできないのか」と言われると、
たぶん何も返せません。でも、そういう順番に、自然となっていくんですよね。
サボっているわけではない。
優先順位の高いものから、限られたエネルギーを使っているだけ。
その違いは、外からはほとんど見えないのだと思います。
「熱がある人」には言わない言葉が、飛んでくる
40℃の熱を出している人に、こう言う人はいません。
「それ、甘えじゃない?」 「気持ちの問題でしょ」 「考えすぎなんだよ」 「運動したら治るよ」 「気の持ちようだから」
でも、うつ病や双極性障害には、こういう言葉がわりと普通に飛んできます。
悪気がない場合も多い。だからこそ、静かに効いてきます。
熱なら「お大事に」と言ってもらえる。
同じくらいしんどいはずなのに、精神疾患だと「励まし」という形で、
別の負担が乗ってくる。
この非対称さが、地味に、でも長く、こたえるんですよね。
ここで書いておきたいのは、相手を責めたいわけではない、ということです。
見えないものは、伝わりにくい。
それは仕方のないことかもしれません。
ただ、「熱の人には言わない言葉を、自分には言われている」
と気づいておくだけで、少し楽になることもある気がします。
それでも、少しずつ回復の感覚はある
ここまで、しんどい話ばかり書きました。最後に、少しだけペースを戻します。
回復は、ある日いきなり「治った」とやってくるものではないようです。
少なくとも私の場合は。
代わりに、本当に小さな実感が、ぽつぽつと戻ってきました。
たとえば、こういうことです。
- 温かいお茶を、おいしいと感じられた
- 猫を撫でて、その背中の温度が分かった
- 冷蔵庫の音が、少しだけ平気だった
- 窓の外を、ぼんやり見ていられた
どれも、人に話すほどのことではありません。
でも、崩れているときには、このどれもができませんでした。
だから、これが戻ってきたとき、
「ああ、少し回復しているのかもしれない」と思えたんです。
40℃の熱が下がるみたいに、すっきり分かるものではない。
気温が、ほんの少しずつ変わっていくのに似ています。
気づいたら、前より息がしやすくなっている。
そういう種類の回復なのだと思います。
もちろんそう簡単に回復するものではないですし、薬に頼ってもいます。
でも、しんどいながらでも、いつの間にかできることが増えている。
今の私はそう実感しています。
もし今、同じようにしんどい人がいたら。
お茶を一口飲めた日を、ちゃんと数えてあげてほしいです。
それは、サボっていない証拠だと思うので。
回復の感覚については「双極性障害の回復|安全基地は意志ではなくつくるもの」でも書いています。よかったら。
結論だけ知りたい人へ|要点まとめ
- うつ病・双極性障害が「40℃の熱」に例えられるのは、体が重く思考が止まる感覚が似ているから
- ただし高熱と違い、外から見えず、検査に映らず、波があるぶん厄介
- 双極性障害は「高熱+暴走(混合状態)」の日もあり、休もうとしても休めない
- いちばんつらいのは、全力でやっていることが「怠け」に見えてしまうこと
- 熱の人には言わない言葉(甘え・考えすぎ等)が飛んできやすい
- 回復は劇的ではなく、お茶を飲めた・猫を撫でられた、という生活の温度で戻ってくる

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