感情を整理できない。 これは私にとって、ずっと付き合ってきた感覚なんですよね。
何かが起きたとき、頭で考えるより先に気持ちのほうが動いてしまう。
そして自分でも、何に動揺しているのかがよく分からない。
双極性障害になってから、この傾向はさらに強くなりました。
ただ最近、自分なりの付き合い方が少しずつ見えてきた気がします。
今日はその話を書こうと思います。
感情を整理できないのは、昔からだった
思い返してみると、感情を整理するのが苦手なのは、病気になる前からでした。
何か嫌なこと、ムカついたことがあると、その場では何も言えない。
家に帰ってから、ようやくモヤモヤが言語化されてくる。
気づいたら、何時間も経っている。
そういうことが、子どもの頃からよくありました。
頭より先に感情が来る
順番が、たぶん人と少し違うんだと思います。
普通は「出来事 → 考える → 感情」みたいな流れだと思うんですが、
私の場合は「出来事 → 感情 → そのあとで考える」になっている気がする。
感情のほうが先に出てくるので、思考が追いつかない。
だから、その場では何も整理できないまま、ただ動揺だけが残ってしまうんです。
自分でも「何に傷ついたのか」が分からない
しんどいのは、自分の感情なのに、自分でもよく分からないところです。
「なんかつらい」とは思う。 でも、何がつらいのかが分からない。
これは結構長いこと、自分の中で謎でした。
人に説明できないし、自分でも腑に落ちないまま、ただ重い気分だけが続く。
双極性障害になって、”感情の渋滞”が増えた
双極性障害と診断されてから、この傾向はもっとはっきりしてきました。
特に脳が疲れているときは、感情がうまく処理できずに渋滞している感じがあります。
情報が一気に来ても、さばききれない。
だから、入ってきた順に積み上がっていくだけになる。
このあたりの脳の疲れ方については、双極性障害と脳疲労の話でも書いています。
脳疲労が強い日は特に整理できない
調子が落ちている日は、もう全然ダメなんですよね。
会話の内容がうまく頭に入ってこない。
何か言われても、それが嬉しいのか嫌だったのかすら判別できない。
反応はしているけど、自分の中身は空っぽに近い。
そういう日に無理に「ちゃんと感じよう」とすると、あとからどっと反動が来ます。
「考える前に苦しくなる」感覚
特に混合状態のときは、考えるより先に身体が苦しくなることがあります(混合状態の翌日の疲労)。
頭ではまだ何も処理していないのに、胸のあたりがざわざわする。
これが何の感情なのかは、しばらく経たないと分からない。
このあたりの話は、[双極性障害の混合状態]や[脳疲労]の記事でも触れています。
私は、一度母に感情を預けている
そんな私が、長年やっていることがあります。
整理できない感情を、まず母に話す。
解決してもらうためじゃなくて、ただ預けるためです。
これがけっこう効くんですよね。
話している時点では、自分でも整理できていない
母に話しているとき、私はまだ何も分かっていません。
「なんかね、こういうことがあって」とか、「うまく言えないんだけど」とか。
そんなふうに、ぼんやりした言葉のまま出していく。
母も、無理にまとめようとしないんです。 ただ聞いてくれる。
たまに相槌を打って、たまに何か返してくる。
それだけなんですけど、それがちょうどいい。
家族との関係って、人によってはむずかしいテーマでもあるんですよね。
私自身、ここまで来るのに時間はかかりました(双極性障害と家族関係)。
会話のあとに、少しずつ理解が追いつく
不思議なのは、話している最中じゃなくて、話したあとに整理がつくことです。
電話を切ってから、しばらく経って。
「ああ、私はあれが嫌だったんだな」と、急に分かるときがある。
母に話すことで、頭の中の渋滞が少しほどけるんだと思います。
自分ひとりだと、たぶんずっと詰まったままだったはずです。
そういう感情を隠していた時は感情の洪水が後から来て、
家族の誰かに話しかけられてもガン無視で、布団に入ってこっそり泣いてました。
でも、涙が出るくらいならまだマシな方です。
涙を出したいのに出せない人もいるんですから。
「感情的な人」で終わらせたくなかった
ここまで書いてきて、ひとつ言っておきたいことがあります。
感情を整理するのが遅いと、よく「感情的な人」とまとめられがちなんですよね。
でも、それはちょっと違う気がしていて。
感情が強い=考えていない、ではない
感情が先に来るタイプは、考えていないわけじゃないんです。
順番が違うだけ。 ちゃんと考えてはいる、ただ追いつくのに時間がかかる。
それを「感情的」と一言で片付けられると、なんとも言えない気持ちになります。
「感情優位」と言われるとまた違った気持ちにもなりますが。
私は”時間差で理解するタイプ”だった
最近やっと、自分のことを言語化できるようになってきました。
私は、その場で理解する人間じゃなくて、時間差で理解する人間なんだ、と。
これに気づけてから、少し楽になりました。
「あの場で言い返せなかった」と自分を責めなくてもよくなったんです。
私はそういう脳の作りだから、その場で答えなくていい。
書くことで、あとから自分を理解できる時がある
母に預けるのと同じくらい役に立っているのが、書くことです。
ブログという形で、思っていることを文字にしていく。
それだけで、自分の感情がだいぶ整理されます。
ブログは「発信」より「整理」に近い
私にとってブログは、誰かに何かを伝えるためのものというより、自分を整えるための場所に近いです。
書いているうちに、「ああ、私はこう思っていたのか」と気づくことがよくある。
頭の中だと曖昧だったものが、文字にすると輪郭が出てくる。
これも一種の「時間差で理解する」やり方なのかもしれません。
書くこと以外にも、私はライフチャートやボイスレコーダーで自分を整理することがあります(ライフチャートの使い方)。
言葉にすると、少しだけ外から見える
自分の感情を、自分で見つめるのって難しいんですよね。 近すぎて見えない。
でも文字にすると、少し距離ができる。 「これを書いた人」を、ちょっと外から眺めるような感覚になります。
そのときに、ようやく自分のことが分かることがあるんです。
まとめ|感情が先に来る脳でも、生き方は作っていける
感情を整理できないこと自体は、たぶんこれからも変わらないと思います。
私はそういう脳の作りだし、双極性障害もある。
その場でうまく言葉にできる人にはなれない、たぶんずっと。
でも、それを前提に生き方を組み立てることはできるんですよね。
- 整理できない感情は、いったん母に預ける
- 書くことで、後から自分を理解する
- その場で答えなくていい、と自分に許可を出す
たぶんこれが、私なりのやり方なんだと思います。
整理が遅いことは、別に悪いことじゃない。
ただ、自分のペースを知っておくと、少しだけ生きやすくなる気がします。

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