14歳の愛猫が肝臓癌に。その一年後、もう一匹の愛猫もリンパ腫になった話|闘病記まとめ

14歳の愛猫が肝臓がんと診断され、余命一年を告げられました。
それでも必死に生きてくれた日々。
そしてその一年後、もう一匹の愛猫もリンパ腫に。
2匹の闘病を通して、私が感じたことを書き残します。

目次

1:14歳の愛猫が肝臓癌と診断された日

最初に気づいた小さな異変

最初は活発だった「そー」ちゃんがうずくまって動かなくなった日に遡ります。首まで90度くらいまで俯いて。私たちに顔も見せなくなったあの日から。

最初はどうしたんだろう?と思って3日程様子を見ていました。すると、またいつも通りの「そー」ちゃんに戻ったので、私たち親子はホッとしていました。

しかし、それが何度も続くとおかしいとさすがに気づきます。蹲るようになってから1か月後。私たちは「そー」ちゃんを病院に連れて行きました。

検査結果を聞いた時のこと

触診では何もわかりませんでした。でも私が「そういえば軽くなったような気がします」と、(後になって分かったことですが大して体重は変わっていなかったのですが)そう言うとすぐ、医師はエコー撮ってみましょうと言いました。結果は肝臓がん。もうほとんど寿命です。と言われました。

2:治療を選ぶという苦しさ

年齢を考えて迷ったこと

町医者の設備では肝臓がんを摘出することはできず、ましてや14歳という老体で手術をするにはリスクが高い上に予後が悪いと宣告されました。泣きました。いくら保険に入っていても何十万も払えない。それに都心の大病院にまで行かないといけない。

延命なのか、負担なのか

「そー」ちゃんの予後も考えるとリスク。リスク。リスクの連発でした。
そして私たちは緩和ケアを選択したのですが……これがまた私たちは選択を間違えたのではないかと思ったことが起こりました。

3:闘病生活のなかで変わっていった日常

食欲、排泄、眠りの変化

「そー」ちゃんがパタリと倒れたのです。何とか起き上がらせてやっても俯くばかり。ご飯も水も食べませんし飲みません。即行で病院に行きました。

医師の見立てでは脳炎か肝臓癌から脳への転移か。MRIで撮ってどちらか確認することはできます。が、MRIには全身麻酔が必要です。ただでさえ麻酔が苦手(去勢時に判明)な「そー」ちゃん、しかも老体に全身麻酔はリスクが高いことも言われました。

まだ肝臓癌だけの方がいくらかよかったと、また泣くことになる、この時はそこまで考えていませんでした。

私自身の生活も崩れていった

二週間に一度の注射で生きて生き延びてきた「そー」ちゃん。

何度か危ない橋を渡りながら、立ち上がってきた「そー」ちゃん。

その度に私も母も疲労困憊していきました。

一度、私のこたつで、尿と便と嘔吐の3つをほぼ同じ時間にしていたようで、医師によると

それは「てんかん」だと言われ、「てんかん」の薬が追加されました。

2月21日、抗てんかん薬を飲んでいるにもかかわらず、「てんかん」が起こり、手足が突っ張って歩くことも水を飲むこともできなくなりました。

医師に、「もうこの子は何も感じなくなってます。生きるために必要な脳ではなくなっています。それでも奇跡にかけますか?点滴しかできませんが…それでもやりきったと、言えるように点滴しますか?それと、この状態だと、辛い声で鳴き続ける可能性があります。もし、飼い主さんがその声があまりにも辛いなら、鎮静剤を打ちます。そのままお亡くなりになると思いますが…その時はまた来てください」

今思い出しても最高の医師だと思います。

22日午前4時。冷たくなる「そー」ちゃんの肉球を温めストーブと暖房はガンガンに回し、それでも冷たくなる肉球。鼻呼吸から口呼吸に変わっていき、数秒呼吸がしなくなったら胸をトントンと叩くとまた息をしてくれる。そんな奇跡にすがる地獄のような時間を少なくとも5時間はしましたね。ついに体を捻じ曲げ一声鳴いて、息を引き取りました。

母も辛いのにテキパキと火葬の準備をし、弟は泣き叫びましたが、「後悔はない」と言い切りました。

私は後悔しかありませんでした。もっと一緒にいてあげられたらよかった。趣味なんかしないでもっと一緒にいればよかった。そんなことばかり考えて、涙を流し続けてその場から動けませんでした。

2日後、雪が残る道を車で冷たくなった「そー」ちゃんの寝顔をずっと見ていました。忘れないように。忘れることができないように。

そーちゃんが14歳で肝臓がんと診断されて、余命一年を告げられました。
けれど実際には、その一年を待たずして旅立ちました。余命とはわからないものです。

4:その一年後、もう一匹の愛猫がリンパ腫に

まさか続くとは思わなかった

「そー」ちゃんを看取った二か月後です。今度は「カイ」ちゃんに異変がありました。今回も3日様子を見ていましたが、尿かと思うほどの水便です。

おかしくないわけありません。母が一人で「カイ」ちゃんを病院に連れて行き、私にLINEをしてきました。「腸のリンパ腫」「白血球の値がゼロ」「敗血症」。

5:二度目の告知で感じたこと

慣れることなんてなかった

母は預かっている「カイ」ちゃんの身にこれだけのことが起こっているなんて、本来の飼い主の弟になんて言ったらいいんだと、涙ながらにいいました。
代わりに私が言うことに。平気だと思ってたんですけど、最後泣きそうになりました。
即行で我が家に来た弟。一番長生きすると思ってたのになぁ。とこっそり泣いてました。私ももらい泣きしました。

それでも、今できることを選ぶしかない

今度も緩和ケアという選択を選ぶしかありませんでした。言われた余命は3か月。便がうまくでなくて浣腸をしたことも2回ほどありました。
けど今は、粉薬と水薬、3週間に一度の注射で1年生きてくれています。

あとどれくらい一緒にいられるのかはわかりません。彼女の生命力次第でしょう。こちらの心配なんかいざ知らず、先ほども後輩猫とバトルを繰り広げていたので、案外もう二、三年生きてくれるかもしれません。

希望は横に置いておいて…正直、腎臓病にもなってしまい、本当に「カイ」ちゃん次第になってしまいました。でも今は自分で水を飲んで食べて、排便もしているので、とっても優秀です。体重も減っていませんし。母の献身のおかげです。

6:2匹の闘病を通して思うこと

看取る覚悟なんて最後までできなかった

はい。「そー」ちゃんの件で、私は「死」を看取ること、ましてや乗り越えることなんて全然できない人間であることがよくわかりました。

何時間も「そー」ちゃんの胸を叩き続けた私。狂気の沙汰だと思います。
順番でやっていたのですが、弟は途中で泣き崩れてダウン。

一分一秒でも生きていて欲しいという願いからの行動だったのですが、ただ、死んでほしくないだけだったのかもしれません。
この差は大きいです。「生きていて欲しい」と「死んで欲しくない」は同義語ではありませんからね。

簡単にいうなれば「離れたくない」執着と「離れて行ってしまう」恐怖は違いますでしょう?私は後者で、「離れて行ってしまわないように息を止めさせなかった」。それだけ強い恐怖からの行動だったのだと思います。

それでも一緒に過ごした時間は消えない

時々後輩猫である「しぃ」ちゃんを「そー」ちゃんと言い間違える時があります。

「そー」ちゃんは一家の一大事の時もずっと一緒にいてくれました。

頭元で一緒に寝てくれました。足元にいることもありましたね。
「カイ」ちゃんとの喧嘩も「しぃ」ちゃんが引き継いでしまいましたが。

引っ越しのたびに負担をかけてしまいました。それでも私と「そー」ちゃんは相思相愛、一蓮托生だと思って、ました。先に逝かれてしまったのは本当に悲しいです。

だから、「カイ」ちゃんも「しぃ」ちゃんもこれからもずっと大事に大切に、一緒に過ごして生きたいと思います。

読んでくださってありがとうございました。

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この記事を書いた人

「双極性障害」「老猫介護」「ペットロス」「脳疲労」。

このブログでは、
混合状態や在宅生活の中で感じたことを、
猫たちとの暮らしと一緒に記録しています。

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