双極性障害の脳疲労が限界に来た時、私がやっている対処と気づき


目次

導入文


身体が重すぎて、座っていられない日があります。

気分が落ちているというより、ただ脳が動かない。
異様に眠いし、頭が回らない。

でも、最近はこういう日が「通常運転」になってきている気がします。

双極性障害を抱えていると、抑うつと脳疲労と自律神経の乱れが、
一緒くたに押し寄せてくることがあるんですよね。

気圧の低下、人付き合い、ちょっとした失敗。
普通の人なら「疲れたな」で済むことが、私の場合は数日単位の停止につながります。

今回は、双極性障害による脳疲労が限界に達した時、
私自身がどう向き合っているか、書いてみようと思います。


双極性障害の脳疲労は「気分の落ち込み」ではなく「電力切れ」

双極性障害の脳疲労は、悲しい気分というより、
「脳の電力切れ」に近いと思っています。

感情よりも先に、身体が止まるからです。

起き上がれない、重力が強い、目のピントが合わない、風呂に入れない。
気持ちが沈んでいる自覚が薄いのに、身体だけが先に止まる感覚があります。

特に私の場合、「座っていられない」がかなり強く出ます。

ただ怠いというより、座位保持そのものが気持ち悪い。
横になりたくなる。 無理に座っていると、脳が処理落ちしていく感じがあります。

以前、楽しいという感情そのものがわからなくなった時期がありました。

激しい落ち込みではなく、ずっと低電力モードで動いているような状態。
脳の出力が下がりきっていて、感情を生成するエネルギーすら残っていない感じです。

「やる気がない」とか「怠けている」とは少し違う気がします。
電源が落ちているのに、無理に動かそうとしている方が近いかもしれません。


感情鈍麻と過敏さが同時に来る、双極性障害のしんどさ

双極性障害の抑うつで厄介なのは、感情が完全に消えるわけではないことです。

むしろ、「感情の芯だけ動かないのに、周辺だけ過敏に動く」みたいな感覚になることがあります。

嬉しい、楽しい、達成感。 そういう中心部分の感情は薄いのに、
ちょっとした言葉や空気感には異常に反応する。

良かれと思って言ったことが、妙に強い言い方になってしまう日もあります。

あとから振り返ると、「なんであんな言い方になったんだろう」と思う。 でも、その時は自分でも感情の輪郭がよくわからないんですよね。

疲労が深い時ほど、感情を柔らかく包む余裕がなくなって、
言葉だけが直線的になる感じがあります。

泣く時も、「ちゃんと悲しくて泣く」というより、
張りつめていた神経が決壊して涙になる感覚に近い気がします。

このあたりは、いわゆる双極性障害の「混合状態」とも重なる部分があるのかもしれません。
落ち込んでいるのに神経だけ尖っている、みたいな状態は、当事者じゃないと説明しづらいんですよね。


気圧の低下で抑うつが悪化する仕組み

双極性障害がある人にとって、気圧の変化はかなり大きな負荷になります。

気象病と抑うつは、別物のようでいて、実はかなり重なっています。

気圧低下で自律神経が乱れ、睡眠の質が落ち、脳疲労が増し、
抑うつ症状が深くなる、という連鎖が起きやすいからです。

気象病寄りと抑うつ寄りの見分け方

気象病寄りなら、雨前と連動して頭痛や首肩こり、耳閉感が出やすく、
横になると多少ラクになります。

抑うつ寄りなら、天気に関係なく続き、無価値感や朝のつらさが強い。

ただ、実際は「気圧で抑うつが悪化」というパターンがかなり多い印象です。

私自身、低気圧の日に身体が鉛のように重くなって、
座っていられなくなることがよくあります。

両方が同時に来ている、と考えた方が自然なのかもしれません。

このあたりは別記事の双極性障害と気圧・天気の影響でもう少し詳しく書いているので、
気圧でしんどくなりやすい方は読んでみてもらえると嬉しいです。


限界の日は「省エネモード前提」で運営する

脳疲労が限界に来た日は、「普通に動けない自分を説得する日」ではなく、「省エネモード前提で運営する日」にしています。

無理に通常運転をしようとすると、消耗がさらに深くなるからです。

・座れないなら横になる。
・情報を減らす。
・水分と塩分を少し意識する。
・できれば温かいものを口にする。

それくらいでいい日があるんですよね。

呼吸が浅い
頭が回らない
音や光がしんどい
異様に眠い
首の後ろが重い。

こういう症状が揃っている日は、低気圧と抑うつのダブルパンチだと思って、
予定を全部諦めることにしています。

「回復のための停止」として扱うと、罪悪感が少し薄まる気がします。

何もしないことが、その日の正解になる日もあるのかもしれません。


「やってしまった」の正体はリソース事故

双極性障害の脳疲労が深い時、ちょっとした失敗で「やってしまった」と感じるのは、
単なる後悔ではなく「リソース事故」だと思っています。

元気な時の失敗と違って、限られた残量を一気に削られる感覚があるからです。

気力
集中力
対人エネルギー
体力
感情処理

全部が有限で、しかも回復が遅い。

人間関係でズレた日、言い方が強く出てしまった日、外出で消耗した日。

普通の疲れではなく、システム全体に響く感じがあります。 一回の摩擦で、その日の残量がほぼ持っていかれる。

しかも双極性障害は「使える日に使いすぎる」が起きやすいので、
リソース事故が発生しやすいんですよね。

「また寝込んだ」の裏側には、配分ミスのような感覚が常にあります。

シニア猫の介護をしている人なんかも、似たような消耗の仕方をする気がします。
以前書いたシニア猫の介護とバーンアウトの記事でも触れたのですが、
慢性的に残量を削られる生活は、自覚しないうちに底が抜けていくことがあるんですよね。


「やりたいこと」ではなく「残量」で生活している

最近、自分の生活は「やりたいこと」で動いているというより、
「残量」で決まっている感覚があります。

晩ご飯を作る。
記事を書く。
人付き合いをする。
風呂に入る。

全部を同列で処理できないんですよね。
特に人付き合いはもはやトラウマ級で過負荷を起こすレベル。
今の省エネでなんとか動かしてる心身では、他三つが限界。

だから無意識に、「今日はどこに残りHPをどんだけ使うか」を選んでいます。

以前は、お花見やお茶会にもノリノリで参加していました。
でも最近は、そこまで気持ちを持っていけない。

嫌いになったというより、参加するためのエネルギーを捻出できない感じです。

交流って、会話を拾って、表情を合わせて、リアクションして、空気を読む。
元気な時は自然にできるけど、脳疲労が深い時はかなり高負荷なんですよね。

だから最近は、「そこに時間を使うくらいなら寝る」と感じる日が増えました。

これは怠惰というより、限られた燃料をどこに使うか、という感覚に近い気がしています。

ちなみに私は在宅ワークを軸にしているのですが、それも残量を残すための選択だったりします。 そのあたりは双極性障害×在宅ワーク×猫との暮らしの記事に書いたので、生活設計を考えている人の参考になるかもしれません。


残量を可視化する「観測ログ」のすすめ

頭の中だけで体調を管理し続けるのは負荷が高すぎるので、
私は「観測ログ」のような軽い記録をつけることがあります。
いつもの「毎日まめ」です。あれコメントも書けるんですよね。

まあ、ガチガチの自己管理表にすると、今度は管理コストで消耗するから重宝しまてます。

改善するためではなく、自分の消耗パターンを可視化する目的で書く。

例えば、

  • 今日の残量感を5段階で
  • 座れたか
  • 外出したか
  • 人と話したか
  • 晩ご飯を作れたか
  • 気圧がしんどかったか

一言だけでいい。1分以内で終わる雑さがちょうどいいです。

続けていると、人付き合いの翌日に落ちる、記事を2本書くと座れなくなる、といった傾向が見えてきます。

「怠けている」ではなく、「今日は残量が少なかった」に変換できるようになる。

自己認識が少し現実寄りになる気がします。


双極性障害の「通常運転化」が一番怖い

双極性障害の脳疲労で一番厄介なのは、
しんどい状態が「通常運転化」してしまうことだと思います。

長く続くと脳が「これが平常」として扱い始めるので、
自分でも重症度がわからなくなるからです。

異様に眠い、思考が回らない、座っていられない。
でも激しく落ち込んでいるわけではない。

軽〜中程度の抑うつがベースにあって、そこに気圧や疲労が乗っかってくる状態。
当事者だと結構あります。

私も「これが普通」と思って何年も過ごしてきた時期がありました。

楽しいという感情がわからなくなっているのに、それを異常だと気づけない。
異常だと気づけたのは母の言葉からです。

脳の出力がずっと低いまま固定されているので、比較対象を失ってしまうんですよね。

観測ログをつけるのは、過去の自分との比較ができる、という意味でも役立つかもしれません。


「減るポイント」を知ることが回復の第一歩

双極性障害の脳疲労と付き合っていくには、
「頑張る方法」より「減るポイント」を知ることが先だと思っています。

多くの人が「もっと頑張る方法」を探しがちですが、
実際は何で削られているかを把握しないと、消耗が止まらないからです。

人付き合いで減る
買い物で減る
SNSで減る
献立を考えるだけで減る
気圧で減る。

減るポイントは人それぞれですが、
自覚していないと「疲れた理由がわからない」が積み重なっていきます。

私は怠けているんじゃなくて、残量管理をしていた。
気力の問題ではなくて、残量の問題だった。

そう捉え直すだけで、自分への評価が少し変わる気がします。

完璧に管理する必要はなくて、
「今日はどこまで使って大丈夫か」をなんとなく把握できればいい。

それだけで、リソース事故は少し減るのかもしれません。


まとめ|何もしないことが正解になる日もある

双極性障害の脳疲労が限界に来た時、
答えは見つからないことの方が多いです。

ただ、自分の消耗パターンを少しずつ知っていくと、
「今日は無理な日だった」と認められるようになる。

以前の私は、「普通にできていたことができない自分」を責め続けていました。
でも今は、限られた残量の中で生活している感覚の方が近い気がしています。

何もしないことが、その日の正解になる日もある。

それを「怠け」ではなく、「回復のための停止」として扱えるようになるだけでも、
少し呼吸がしやすくなるのかもしれません。

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この記事を書いた人

「双極性障害」「老猫介護」「ペットロス」「脳疲労」。

このブログでは、
混合状態や在宅生活の中で感じたことを、
猫たちとの暮らしと一緒に記録しています。

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