老猫介護で限界を感じた私の話|罪悪感と眠れない夜のリアル


老猫介護がつらい。 そう感じている自分を、責めていませんか。

私も14年一緒にいた「そー」ちゃんの介護で、何度も限界を感じました。眠れない夜、イライラしてしまった自分、罪悪感。全部、覚えています。

この記事では、老猫介護で心身ともに削られていった日々と、そこで気づいたことを書いています。きれいにまとめるつもりはありません。ただ、同じようにしんどい時間を過ごしている方に、「自分だけじゃない」と思ってもらえたらと思っています。


目次

老猫介護が「つらい」と感じ始めたのは、眠れなくなってからだった

最初に「これはまずい」と思ったのは、眠れなくなった頃でした。

てんかんの発作で眠れなくなった夜

「そー」ちゃんが夜中にてんかんの発作を起こすようになってから、夜が一気に長くなりました。

いつ呼吸が止まるかわからない。 だから、徹夜の日もありました。

できることといえば、オキシトシンが出るようにと信じて、ただ撫で続けることだけ。コテンと倒れる「そー」ちゃんを見るたびに焦りつつ、頭の片隅では「また今日も眠れないのか」と思っている自分がいました。

老猫しかも「そー」ちゃんは肝臓癌と脳炎あるいは脳腫瘍を持っていたので、症候性てんかんだと思われますが、どちらにしろ寝不足が続くと、判断力が落ちていきます。私も、自分が今どれくらい疲れているのか、わからなくなっていきました。

「今日は何も起きませんように」と祈るようになった

毎日が、ずっと緊張状態でした。

テレビをつけても、目の端で「そー」ちゃんを追ってしまう。 気がつくと、テレビ=「そー」ちゃんになっていて、純粋に画面を見ることができなくなっていました。

外出中も気が休まらない。 「絶対に一匹だけで死なせない」とだけ祈っていました。

平日、誰かが家にいてくれたらと思いつつ、それができるのは自分しかいない。家で一人のときに「そー」ちゃんの様子が悪くなると、不安で病院が開く時間まで何度も時計を見ていました。泣きそうな顔をしていたと思います。


老猫介護でメンタルが限界になる瞬間

老猫介護のしんどさは、たぶん体力的なものより、メンタルの削られ方のほうがきついです。

優しくしたいのに、イライラしてしまった日

「そー」ちゃんは、滅多に粗相をする子ではありませんでした。

それなのに、ある日タールのような便と濃い尿、嘔吐をしたんです。シーツは処分。何が起きたのかわからなくて、病院に駆け込みました。医師から「てんかんの発作によるもの」と説明されて薬を出されたとき、呆然としました。

そのとき、私はつい怒ってしまったんです。「そー」ちゃんに。 最低だと思いました。

ご飯を食べなくなった頃も、しんどかったです。 点滴で水分は取れても、口からの栄養が足りていない。色々と工夫しても、食べてくれるまでただ待つしかない。

母が、口を開けない「そー」ちゃんに無理やりシリンジで水を飲ませようとした日のことは、今でも覚えています。脱水を防ぐために必死だった母に、疲弊した私はつい言ってしまいました。

「そこまでする?」

母は仕事終わりで、それでも一生懸命だったのに。 あのときの自分は、本当に最低でした。

「もう無理かもしれない」と思ってしまった夜

老猫介護で疲れて、座り込んでしまうことは何度もありました。

駄目になったご飯を片付けながら泣いて、てんかんの発作で汚れたものを始末しながら泣いて。 救いがないというか、しんどい道しかないというか。

「そー」ちゃんの死が、近づいているのが体感でわかっていました。

そして、ほんの一瞬だけ、「終わってほしい」と思ってしまったんです。 楽になりたい、とも思ってしまった。

死んでほしいわけじゃない。生きていてほしい。 でも、私も「そー」ちゃんも、もう限界のラインに立ってしまっていることが、わかってしまっていた。 それが、本当にしんどかったです。


老猫介護の罪悪感は、愛情がないからではなかった

老猫介護をしていると、罪悪感が日常的についてきます。

「ちゃんとできない自分」が苦しかった

ご飯を食べない。水も飲まない。 シリンジで水を飲ませるのは、お互いストレスがすごい。できれば避けたかったけれど、するしかありませんでした。

そのたびに、罪悪感がありました。

病院の開院時間より1時間早く行って順番を取り、駐車場の確保にも毎回苦労する。地味なストレスが積み重なっていきました。

ある日、受付で何気なく顔を上げたら、猫の譲渡会のポスターが目に入ったんです。 隣のキャリーには、まだ「そー」ちゃんがいるのに。 そんな自分の心の動きに気づいて、責めずにはいられませんでした。

介護疲れで壊れそうになるのは、珍しいことじゃない

人間にも、限界はあります。

あんなに元気だった「そー」ちゃんが、見る影もなくなって、亡くなる一歩手前まで行って戻ってきたのは、3度ありました。 そのたびに私たちは疲弊しました。

愛しているのに、愛情が薄れていってしまう恐怖。 これが、老猫介護の限界なんだと思います。

睡眠不足と緊張状態は、心を本当に削ります。 死の淵を渡る「そー」ちゃんの、バサバサになった毛を撫でながら、「オキシトシンが出ろ」と願って撫で続ける。腕はしんどい。眠い。でも、この手を止めたら終わってしまう気がする。 「終わってほしい」と「終わらないでほしい」が同時にある。 あの頃の私は、たぶん少しおかしくなっていたと思います。

老猫介護で共倒れになる人は、きっと少なくないはずです。 私は母と弟がいたから、なんとか持ちこたえました。一人だったら、間違いなく崩れていたと思います。


今振り返ると、「限界だった」と認めることも必要だった

時間が経って、ようやく言えるようになったことがあります。

頑張り続けるだけでは、続かなかった

私は、「そー」ちゃんを一匹だけで死なせないことに必死でした。 それが、自分にできる唯一のことだったから。

実際にその願いは叶いましたが、危篤のときに弟(長男)に電話してくれた母には、本当に頭が上がりません。一人で抱えさせなかった人がいたから、最期は3人で見送ることができました。

完璧な介護なんて、たぶん存在しないんだと思います。 今できることを、その時々で精一杯やる。それだけ。

そして、メンタルと体力を保つには、「休みたい」という体のサインに従う必要がありました。 少し目をつむるだけでも、回復度が違います。

私は徹夜で疲れた弟(次男)に、無理を言って仕事を休ませたことがあります。 今思えば、あれは正解でした。一人で頑張り続けるのは、続かないんです。

あの頃の自分に言いたいこと

優しくできなかった日があっても、愛情は消えていなかった。 14年一緒にいたんだから、消えるわけがない。

これを書いている今も、涙が止まりません。 「愛していたよ。ありがとう」 生きているうちに、ちゃんと言えなかったことが、一番の後悔です。

限界を感じていたのは、本当に頑張っていたからだと思います。 最善を尽くしたつもりだから、ギリギリまで来てしまっていた。

もし、同じようにしんどい思いをしている方がいたら、これだけは伝えたいです。 「後悔のない選択をしてほしい」 その中には、できるだけ愛猫との時間を取ってほしい、という願いも入っています。


まとめ|老猫介護で限界を感じても、愛情は消えていない

最後に、要点だけまとめておきます。

  • 老猫介護で限界を感じるのは、珍しいことではない
  • 罪悪感を抱える人は多い。それは愛情がないからではない
  • 「しんどい」と「愛している」は、両立する
  • 一人で抱え込まないでほしい
  • 完璧な介護はない。今できることをやるだけでいい

「そー」ちゃんがいなくなって、しばらく経ちます。 それでも、ふとした瞬間にあの頃の夜のことを思い出します。

しんどかった。本当にしんどかった。 でも、愛していなかった日は一日もなかった。 それだけは、はっきりしています。


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この記事を書いた人

「双極性障害」「老猫介護」「ペットロス」「脳疲労」。

このブログでは、
混合状態や在宅生活の中で感じたことを、
猫たちとの暮らしと一緒に記録しています。

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