「疾病利得」という言葉があります。
それは、病気になることで無意識に得ている“メリット”のことです。
たとえば――
仕事を休める。
責任を免れる。
周囲に心配してもらえる。
嫌なことを断れる。
守ってもらえる。
こう並べると「ズル」のように聞こえるかもしれません。
けれど実際はそうではありません。
これは、脳が自分を守るために使う防御の仕組みです。
一次疾病利得と二次疾病利得
疾病利得には二つの側面があります。
① 一次疾病利得
病気によって心の苦しさが軽くなること。
たとえば「もう頑張らなくていい」という安心感が生まれ、罪悪感が減ること。
② 二次疾病利得
病気によって現実的なメリットが生じること。
仕事を休める。支援を受けられる。周囲が優しくなる。
生活環境が安全寄りに変わること。
脳は「幸せ装置」ではなく「生存装置」
まず前提として、脳の最優先の目的は
幸せになることではなく、生き延びることです。
脳は常に問い続けています。
「これ以上頑張ったら壊れるか?」
「ここにいたら危険か?」
「もう限界ではないか?」
その答えが「YES」になったとき、
脳は非常ブレーキをかけます。
その非常ブレーキが「症状」
心や体の症状は、
「これ以上やったら本当に壊れる。止まれ。」
という脳からの強制停止命令です。
うつ ⇒ 動けなくして守る
不安 ⇒ 危険から逃がす
パニック ⇒ その場から離れさせる
双極のうつ ⇒ エネルギーを強制的に下げる
症状は敵ではなく、過剰防衛です。
疾病利得の正体
症状が出た結果、
・仕事を休めた
・嫌な人から離れられた
・要求されなくなった
・「頑張らなくていい」理由ができた
すると脳は学習します。
「症状を出すと安全になる」
これが疾病利得の正体です。
意識的に得をしようとしているわけではありません。
脳が「安全」を覚えてしまった状態なのです。
実際の脳内では、危険センサーである扁桃体が反応し、
視床下部や自律神経を介して、うつ・不安・疲労といった状態を作ります。
そして症状のあとに
「休めた」「守られた」「逃げられた」という体験が起きると、
それが「症状=安全」として記憶されていきます。
なぜ回復を邪魔するのか
回復しかけたとき、脳がこう誤解することがあります。
「またあの地獄に戻るのでは?」
その不安から、無意識に症状を引き戻すことがあるのです。
これはサボりではなく、
過去の危機から学習した防衛反応です。
回復に必要なこと
必要なのは、脳に再学習させること。
「症状がなくても、安全で大丈夫」
そのために
安全な環境
無理のない働き方
支援
安定した生活
これらが土台になります。
私の場合
私の場合、疾病利得がまったくないかと問われれば、
「そうではない」と言わざるを得ないでしょう。
けれど、10年以上双極性障害と付き合ってきて、
今はB型でさえも週に一度行ければいい。
それでいいと言ってくれる人たちがいる。
家族がいる。
この二年ほど、そんなありがたい環境にいさせてもらったことで、
脳が「もう安心」と少しずつ認識してくれるようになったのではないか――
そう感じています。
最近、午前4時に目が覚めることを母に相談しました。
すると「5時間眠れているなら大丈夫。双極のせいとは限らないよ」と言われました。
その言葉に、少し救われました。
実際、私はB型が嫌いなわけではありません。
外に出られないわけでもありません。
ただ、作業が単調すぎると、心がしんどくなってしまうのです。
鬱寄りだと、集中は20分ほどしか続かず、
ゆっくりとしか作業できません。
躁寄りだと、早く作業できますが、ミスが増えます。
一番マシに作業ができるのは混合状態ですが、
それでもミスは目立ちます。
鬱も、躁も、混合も。
どの状態でも足を引っ張るなら、
いっそ行かないほうがいいのではないか。
そんな思いが、どこかにあります。
それでも私は、
自分が得意なパソコン作業や関連スキルを伸ばしたいと強く思っています。
そのためなら、
最近めっきりご無沙汰だった電車にも乗りましょう。
早起きもしましょう。
それができる程度には、回復してきているという自覚があります。
もちろん、波のコントロールは必須です。
行けない日もあるでしょう。
それでも、このまま何もせずにはいられないのです。
これが軽躁の可能性がゼロかと言われれば、
そうではないかもしれません。
けれど、猫様と一緒に穏やかに生きていくために必要な挑戦なのだと思えば、
その後に来る鬱が少しでも軽くなるように、
自分を抑えることも必要だと、
そしてそれを実行しなければならないと、
そう思っています。



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