双極性障害と診断されたあと、
私はしばらく「全部病気のせいだったんだ」と思いたい時期がありました。
昔から人間関係がうまくいかなかったこと。
感情の振れ幅が大きかったこと。
急に人生を変えられる気がして、現実離れした計画を立てていたこと。
全部、双極性障害だったのかもしれない。
そう思えたら、少し楽だったからです。
でも時間が経つにつれて、
それだけでは説明できない感覚も残りました。
元々の性格。
家庭環境。
対人への過敏さ。
ずっと張りつめていた神経。
そこに双極性障害が重なって、
今の「めんどくさい自分」が出来上がったんだと思います。
そう思えるようになるまでに15年かかりました。
今回は、
診断後にようやく繋がった、学生時代からの違和感について書いてみます。
- 「昔からなんとなく生きづらかった」
- 「自分だけ集団のテンポに乗れない」
- 「病気だけでは説明しきれない違和感がある」
そんな人には、少し共感してもらえるかもしれません。
「絶対読める」と思っていた高校時代
高校生の頃、夏休み前に図書館で大量の専門書を借りました。
どう考えても読み切れない量です。
でも当時の私は、本気で、
「全部読める」
「読み切ったら自分は変われる」
「すごい人間になれる」
と思っていました。
今振り返ると、
あれは少し軽躁状態に近かったのかもしれません。
ただ、本を読みたかったというより、
“大量の知識を抱え込んだ自分”
に高揚していた感覚があります。
結局、一冊も読み切れませんでした。
当時は「自分は意志が弱い」と思っていましたが、
今なら、
“脳のアクセルと現実の処理能力が噛み合っていなかった”
感覚に近かったのかもしれないと思います。
琴部で感じていた、集団への疲労感
高校の初期には琴部に入っていました。
でも、発表会、人間関係、空気読み。
全部がずっと苦しかった。
練習中に陰口を叩かれていることも、
なんとなく分かっていました。
でも不思議なことに、
私は当時、自分がいじめられているとは思っていませんでした。
今思うと、
家庭のほうがよほど不安定だったからかもしれません。
家の中の緊張感が強いと、
学校での嫌な空気を「まだマシ」と感じてしまうことがあります。
だから私は、
傷ついていたというより、
“ずっと疲れていた”
感覚だけが残っています。
友達が揶揄われると、怒り過ぎて声が出なかった
中学生の頃、友達がからかわれているのを見ると、
すぐ感情が爆発していました。
ただ、怒鳴るというより、
怒り過ぎて逆に声が出なくなる感じでした。
今思えば、
私は昔から感情の入力が強すぎたのかもしれません。
悲しい、悔しい、腹が立つ。
そういう感情が一気に入り過ぎて、
処理が追いつかなくなる。
だから私は、
「感情的」というより、
“感情で処理落ちする人間”だった気がします。
私を一番壊していたのは「対人」だった
最近になって、
自分がどういう条件で壊れやすいのかが、かなり見えてきました。
それは「対人」です。
- 久々に弟が帰ってくる
- 聖書レッスンで苦手な人と会う
- 伝道で初対面の人と話す
そういう予定が入るだけで、
神経がずっと張りつめる。
ただ、人が嫌いなわけではないんです。
むしろ私は、
人の感情や空気を拾い過ぎるタイプでした。
でもその一方で、
- 集団特有のノリ
- 暗黙のルール
- 「今はこう返すべき」
みたいなものは、昔から苦手でした。
だから、
空気を読んでいないつもりはないのに、
天然で人を逆撫ですることがある。
しかも自覚がない。
人に合わせようとすると消耗する。
でも合わせないとズレる。
その繰り返しでした。
バイトだけが「安全地帯」だった
高校時代、大好きなアルバイトがありました。
でも体育の単位を落として、
一学期の間バイトに行けなくなったことがあります。
その時、私は号泣しました。
今ならわかります。
あれは単に、
「バイトできなくて悲しい」ではありませんでした。
学校より、
家より、
そこだけが安全だったんです。
バイトには、
- やることが決まっている
- 役割がある
- 成果が見える
- 感情の読み合いが少ない
という安心感がありました。
だから失った瞬間、
自分の居場所が消えた感覚になっていました。
「全部病気だった」なら、もっと楽だった
双極性障害と診断されたあと、
私はしばらく、
「全部病気のせいだった」
と思いたかった時期があります。
そのほうが整理しやすいからです。
でも実際は、
そんなに単純ではありませんでした。
元々の気質。
家庭環境。
感受性。
対人への過敏さ。
そこに双極性障害が重なって、
感情の振れ幅がさらに増幅された。
そんな感じなんだと思います。
だから私は今、
「病気か性格か」を切り分けたいわけではありません。
ただ、
“どういう時に、自分の神経が限界を超えるのか”
を、少しずつ理解し直しています。
もしこの記事を読んで、
「昔からなんとなく生きづらかった」
と思った人がいたら。
それは怠けや甘えではなく、
ずっと必死にバランスを取ろうとしていた結果なのかもしれません。

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