猫のリンパ腫と腎臓病。断定できない病気とは?余命宣告を受けた2匹の闘病記録

つらい日

1. はじめに|猫のリンパ腫と腎臓病は、ある日急に現実になる

こんにちは。こんばんは。リセツです。

猫と暮らしていると、いずれ病気というものに向き合わなければならない日が来ます。
それが明日なのか、数年後なのかはわかりません。
でも、来る時は本当に急です。昨日まで普通に歩いていた子が、急に動かなくなる。いつも通りご飯を食べていた子が、水も飲まなくなる。そういうことが、現実に起こります。

我が家では、優しいおじいちゃん猫「そー」ちゃんが肝臓腫瘍を患い、その後見送りました。
そして今は、おばあちゃん猫様「カイ」ちゃんが腸のリンパ腫と腎臓病を抱えながら生きています。

この記事では、その二匹のことをまとめます。
ただの病気の解説というよりは、実際に一緒に暮らして、見て、慌てて、泣いて、それでも今日も生きていることを確認してきた記録です。

2. 「そー」ちゃんの肝臓腫瘍|じわじわと日常が壊れていった

私は「そー」ちゃんが一等好きでした。
頭元で寝てくれるだけで嬉しくて、たまに足元にいるだけでも幸せでした。

そんな「そー」ちゃんに異変が出たのは、ある日突然でした。
家の中を普通に歩いていた子が、急にうずくまるようになったのです。抱き上げると、「うー」と唸る。あの優しい子が唸る。それだけでもう普通ではないとわかります。
けれどその頃の私は、どこかで「三日もすればよくなるだろう」と思っていました。甘かったです。

病院でエコーを撮った結果は、肝臓に腫瘍。
あと一週間遅れていたら危なかったかもしれないと言われました。

そこから「そー」ちゃんの闘病が始まりました。
週に二回、病院へ通って注射を三本打つ。注射の内容はその時々で違いましたが、通うたびに「今日も頑張ろうね」と言いながら連れて行きました。
名医でした。本当に。
無駄に希望だけを持たせるのではなく、きちんと現実を伝えたうえで、でもこちらの気持ちは置いていかない。そういう先生でした。

3. 脳炎か脳腫瘍か肝性脳症か|最後まで断定できなかったこと

最初の診察から二か月ほど経った頃、「そー」ちゃんはコテン、と急に横に倒れるようになりました。
本当に「コテン」としか言いようのない倒れ方でした。
その姿があまりにも不自然で、脳に何か起きているのだと素人でもわかりました。

病院では、脳炎か、脳腫瘍か、肝性脳症か、あるいはそのどれかが重なっているのか、はっきりとは断定できませんでした。
ただ確かなのは、脳がもう普通には働けないほど深く傷んでいた、ということです。

手足が突っ張るような発作。
急に横に倒れる。
水も飲まなくなる。
ご飯も食べなくなる。
自力で食べられないので、強制給餌もしました。シリンジで少しずつ口に入れるのですが、それがどれだけ難しいか。飲み込める日もあれば、うまくいかない日もある。こちらの焦りだけが募ることもありました。

医師からは、「もう何も感じていないと思います」と言われた日もありました。
あの言葉は今でも残っています。
でも、たとえ反応がなくても、私たちはずっと撫でていました。
感じていないと言われても、それでも撫でるしかなかった。触れていたかったのだと思います。

4. 最後の瞬間に何ができるのか|飼い主はずっと迷う

「そー」ちゃんの最期は、静かというにはあまりにも重い時間でした。

息が止まりかけるたびに、私は胸をトントントンと叩いていました。
なんとか呼吸をしてほしい。奇跡が起きてほしい。まだ行かないでほしい。そう思っていました。
でも最後に一声鳴いて、体をよじって、息を止めました。

それでもまだ胸を叩こうとする私を、母と弟が止めました。
ただ、その手をそっと止めたのです。

阪神淡路大震災のときに、人工呼吸を何十分も続けた医師の話を思い出しました。呼吸を止めたらこの人の命はないから、手を止められなかったと。
その話をなぜあの時思い出したのかはわかりません。
でも、目の前の命に対して「もう無理かもしれない」と頭ではわかっていても、手だけは止めたくなかったのだと思います。

5. 余命三か月から一年後の「カイ」ちゃん|今もマイペースに生きている

そして今の「カイ」ちゃんです。

腸のリンパ腫で余命三か月と言われてから一年。
それでも今、「カイ」ちゃんは普通にご飯を食べています。
ちゅ〜るを食べたくて文句を言いに来るし、ご飯が足りなければ催促に来るし、「しぃ」ちゃんに追いかけられれば、へにゃちょこパンチで応戦します。

元気です。
「そー」ちゃんの時とは比べものにならないくらい、元気な時間があります。

もちろん、病気が消えたわけではありません。
粗相は相変わらずですし、たまに食べ過ぎて吐きますし、ついに腎臓病の宣告もされました。
頻繁にトイレへ行くようになって、臭いも強くなりました。
でもそれでも、自分で水を飲み、自分でご飯を食べ、自分でトイレへ行きます。

この「自分でできる」ということの大きさを、私は「そー」ちゃんから教わりました。
だから今、「カイ」ちゃんが飲む、食べる、出す、寝る、その一つひとつがありがたいのです。

6. 猫の腎臓病は派手ではないけれど、確実に暮らしを変える

猫の腎臓病には、ゆっくり進む慢性のものと、急激に悪化する急性のものがあるそうです。
「カイ」ちゃんの場合は、老猫あるあるの慢性のほうだと思っています。

腎臓病というと、何か劇的な場面を想像するかもしれません。
でも現実は違います。

食べた。
飲んだ。
出た。
寝た。
今日は吐かなかった。
今日はちゃんとシリンジで薬が飲めた。
「しぃ」ちゃんに追いかけられても、キャットタワーを登れた。

そういう、本当に地味な確認の繰り返しです。
今まで通り抗生剤を打って、腸の粉薬と水薬を飲ませて、毛布でおくるみ状態にして二人がかりで投薬する。
それが今の日常です。

奇跡みたいな一発逆転は、あまりありません。
でも、病名だけでその子の毎日が決まるわけでもありません。

7. 病名だけでは、その子の全部は決まらない

「そー」ちゃんは、肝臓腫瘍から脳の深い障害へと進み、最後は水もご飯も受けつけなくなって旅立ちました。
「カイ」ちゃんは、腸のリンパ腫と腎臓病を抱えながら、それでも今日もご飯を食べて、水を飲んで、眠っています。

同じ「癌」でも、同じ「老猫」でも、経過は全然違います。
だから、余命宣告は目安ではあっても、その子の毎日をすべて決める言葉ではないのだと思います。

私は今も病気が怖いです。
でも、病名を恐れることと同じくらい、その子が今何をしているかを見るようにしています。

ちゃんと飲んだか。
食べたか。
寝ているか。
怒っているか。
今日もしっかり文句を言っているか。

そういう小さな確認の積み重ねが、結局はいちばん現実的なケアなのだと思います。

猫のリンパ腫も、腎臓病も、肝臓腫瘍も、軽い病気ではありません。
でもその中でも、その子はその子として生きています。
だから私たちは、病名だけではなく、今日のその子を見ていくしかないのだと思います。

それがたぶん、闘病と一緒に暮らすということです。

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