間違ってませんか?「前向き」の押し付け。ド鬱の朝を生き抜くための3つのステップ

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ステップ1:「前向き」のスイッチを物理的に切る

はい、鬱ですね。午前中に2記事書いたのでいいんですが、晩御飯担当私なんですよね〜。いや〜参った参った。

卵使い果たしたので炒飯にもできませんし…親子丼、他人丼も無理。

鶏肉があるので鶏チリとキャベツ、大根菜とエノキのスープくらいしか思いつけません。

……いやしかしビーズクッションで久々に寝ましたけどよく眠れますね。寝すぎなくらい。10年ものなんですけどね。さすがにカバーは劣化し過ぎて捨てました。

そして隣てスピスピ寝ている「しぃ」ちゃんも起きた形跡がない。1時間のつもりが2時間も寝ていたとは驚き。

まるで、躁の時の睡眠負債を取り戻そうとしているみたいで、リアル感満載。いえ、現実ですが。

あ、体起こしたら姫様まで起こしてしまいました。失敗失敗。私この後忙しいから寝ていて欲しかったんですけどね。

お風呂入って疲れたのか、料理の途中から上体を起こすのがしんどくなり、またベットin。しぃちゃんついてきてくれてマジ嬉しい。隣でスヤスヤ。しぃちゃんもおねむだったのかな?

私が放り出した料理、誰か引き継いできれないかな〜いやいないな。

また重たい体を起こさねばなりません。あー、しんどい。

そうして作り上げた夕食を先に一人でもぐもぐと食べ、食器を洗い、洗濯物はスルーしてベッドにin。「しぃ」ちゃんもついてきて頭元で寝始めました。かわゆす。

そうして一時間半ほど横になってLINEをぽちぽちし、ひと段落ついて起きたらなんと!「カイ」ちゃんの薬がまだでした。「薬まだぁ?」と小さく文句を言うと母は、「あ、まだやわ」と返してきました。いや「まだやわ」ちゃうわ。また「カイ」様を浣腸させる気か。あんなに可哀そう可哀そう言ってたくせに。

シロップと粉薬と水を混ぜ、抹茶色の薬を大き目のシリンジに入れ、横になっている「カイ」さんの上体をちょっと起こし、半分ずつお口に投入。最後の方は口からこぼれてしまいましたが、9割飲めたので良し。

そうして自分も眠剤を飲んでyoutubeを寝ながら見て、完全に眠れそうになったらスマホの充電をして眠る。というのが最近のルーティンです。洗濯物は干せれば干す程度。その時の体調によります。

ちなみに晩御飯は母の休みの日は母に作ってもらってます。

ステップ2:自分への期待値を「ゼロ」以下に設定する

さてはて今日も今日とてド鬱の日。朝5時に「しぃ」ちゃんにたたき起こされ、それでも一時間は粘って6時起床。。朝ご飯をササっと食べて薬を飲む

そしてまた寝る。眠たい、寝たい。そのはずが、今日はなかなか二度寝ができない。また混合状態か?と自分に警戒しながらリビングへ戻ると、テレビからショッキングな言葉が流れてきました。

「明日が確定している」

ドバイでの緊迫した状況から帰国した方の言葉でした。命の危険を感じる場所から日本へ帰り、本気で安堵されたのでしょう。その安堵自体は、素晴らしいことだと思います。

けれど、画面のこちら側で、明日を生きることさえ必死な私たちは、その言葉に思わず足を止めてしまいます。

精神疾患を持つ多くの人にとって、「明日が確定している」という響きは、必ずしも希望ではありません。むしろ、終わりのない苦しみが明日も続くという「呪い」のように聞こえてしまうことすらあるのです。

健常な方々にとって、明日があることは「当たり前の幸せ」かもしれません。でも、ミサイルが降る戦地の人々にその言葉を送れないのと同じように、心の中に嵐が吹き荒れている人間にとっても、その言葉はあまりに眩しすぎて、時に残酷です。

放送したメディアや、その言葉を発した若者を責めたいわけではありません。きっと彼は、日本の安全さを純粋に讃えたかっただけなのでしょう。

ただ、この「地デジのニュース」という、誰もが目にする公の場で、私たちの存在が想定されていないことに、言いようのない孤独を感じてしまうのです。マジョリティの「安心」の裏側で、その言葉に息が詰まるマイノリティがいる。

どんな言葉が刺さり、どんな言葉が禁忌なのか。それは、その立場にならないと分からないことかもしれません。でも、「自分の当たり前が、誰かの絶望かもしれない」という想像力。それこそが、今の日本に少しだけ足りていない、優しさの正体のような気がしてなりません。

ステップ3:唯一の「信頼できる温もり」に触れる

一々反応してしまう自分の脳を、少し責めたくもなります。でも、もし私と同じようにあの言葉に苛立ちや悲しみを感じた人がいたなら、これだけは伝えたい。

「脳を休めましょう。寝れなくていい。ただ横になるだけでいい。深呼吸をしてください。」

確定していない明日を恐れる私たちは、今日を必死に生き抜いた仲間です。今はただ、その脳を静かに休ませてあげましょう。

明日が来るのが当たり前だと思える世界。それはとても幸せなことなのでしょう。でも、その眩しさに目が眩んでしまう夜があることも、私は知っています。

皆さんは、ふとした瞬間に流れてきた言葉に、心がチクリと痛んだ経験はありませんか? もしよろしければ、コメント欄であなたの『実はしんどかった言葉』をそっと置いていってください。ここでは、正論も励ましも要りません。ただ、『痛かったね』と隣で猫を撫でながら、一緒に今日を過ごせればと思っています。

それでは、しぃちゃんの寝息を聞きながら、私も一度脳をオフにします。皆様、どうか穏やかな休息を。

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