双極症の連鎖を断ち切る。警察を呼んだ夜、そばにいてくれた愛猫の話

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混合状態が酷い時の私の頭の中ってとっ散らかってて、「今何をしようとしたか、あるいはしなければならなかったことは何か」。「何がしたかったか」、「必要なことは何か」。少なくともこれらの答えが出ずに頭の中をぐるぐる回っています。

そういう意味では頭真っ白です。優先順位を定められないんですけど焦燥感が強くて苦痛です。Chatgpt曰く「思考量は過剰(躁寄り)なのに、実行と整理の機能が落ちている(鬱寄り) という、混合状態ならではの地獄」らしいです。

混合の自覚のしにくさに辟易する毎日

もう寛解したかな?と思ったらこれですよ。ちゃんと10年もリチウムとてんかん薬飲んでるのに。

就労継続支援B型にも週に一度しか行けてませんし。だから在宅ワークに挑戦しようとしてスキルを身に着けようとしてたんですけど。今思えば混合状態でしたね。

しかも焦燥感があるからだとも気づいていませんでした。タスクを増やして悪化させたわけです。

これを読んでいる方にはそんな風にはなってほしくありません。

まあ、今少し落ち着いたけど混合状態の私にだけは言われたくないかもしれませんが。

寛解には遠いなーというのが現状です。主治医には高い波である躁状態ではなく、鬱状態の波が小さいバージョンで生活してほしいらしいですけどねー。今の状況知ったら次の診察で何と言われるやら。

そういえば私が双極性障害になった経緯って言ってませんでしたね。


「※過去の家庭環境や暴力に関する記述が含まれます」

原因は環境要因。つまり家庭崩壊。

双極性障害と発達障害を併発している父親のせいです。

もう離れたので生きてるか死んでるかわかりません。

優しい弟は一人暮らしをして父親の気持ちが少しだけわかるようになったと言っていますが、私は私を守るために無関心でいるようにしています。

父は禁忌である飲酒に加え薬を乱費し病院に自力で行った過去があり死にぞこないましたが、私も同じことをしたくなるのを全力で自力で止めています。いろんな管に繋がれてどんな目にあうか見て知ってますからね。

私がたまにでも「躁だな、薬飲もう」「鬱だな、薬飲もう」と思えるようになったのにかかった時間は10年。私の場合の混合状態では鬱以上に思考力が落ちている気がするので、薬を飲もうという発想すらない。

ですがここまでマシになったのは10年という期間母が「育てなおし」をしてくれたからです。父が私たちから奪った期間、ずっと耳を傾け、アドバイスをし、怒らず、多くを語らず。

ただ長年に渡り真摯に向き合ってくれた、そのおかげです。「今、躁になってない?」と言ってくれる人の存在は大きいです。

だからこそ、父と同じ病気だと気づいていながら、病院で同じ診断を下されるのが怖くておぞましくて、逃げてきた私をぶん殴りたい気持ちでいっぱいです。逃げた期間、母や弟たちに迷惑をかけ続けてきたからです。

寛解の話からずれてすみません。まあ、精神的暴力、物理的暴力があった家庭って子供にも何かしらの傷という名の障害や病気ってなりやすいですよね。

二次障害というもの

父は後発的発達障害だったらしく、そのうえ二次障害として双極性障害を併発しました。私は双極性障害になる前の父を覚えていません。でもよく、海水浴場で投げ飛ばし遊びをやってもらった記憶はあります。

だから母にもよく言われます。私だけが双極性障害になる前の父を知っているから余計にしんどいんじゃないかって。

いいえ。そんなことはありません。ブチ切れた父が母の携帯を二つにバッキリと折り曲げた瞬間から私は父を見放すようになりましたから。

双極性障害の父に私たちが耐えられなくなったのは10年。
大好きだったはずの父が怪物になっていく過程。

耐えられていたと思っていた私が弟たちを差し置いて一番耐えきれなかった。私も双極性障害になってしまった。正直辛いです。

10年という期間と同じかそれ以上の期間を回復に回さないといけないのに、環境要因が変わらないと回復しないか遅い。

結局は環境要因なのか?


ちなみに叔母も双極です。現在の精神的暴力、過去の物理的暴力を思い出してよくプチパニックを起こしています。

病院に行ってからはだいぶマシにはなったらしいですが。私同様手が震えて書類が書けないとかね。これはリチウムの副作用でもあるのですが。

役所の人に代筆を頼んだり、よくありますよね。精神的平穏が第一。そのために福祉に頼る。相談員さんがつけばなおOK。

私が通所している就労継続支援B型はすごく静かなので、聴覚過敏の私にとってはとても居心地のいい場所です。週一しか行ってないけど。

今の私は寛解に近いですかと主治医に言うとすればこう帰ってきそうですかね。「まだ振れ幅が大きいのに何言ってんの」でしょうかね。

躁の時だからできることってあるからこうして書き綴ってるんですけどねー。ド鬱の時はベッドから出たくないですもん。「あーあれやらなきゃ」とか思っても体も脳もバグってる鬱の時は生きてるだけマシ。と思わないと生きてられないですもんね。

これを見てくださっている双極のあなた。今日も一日生き延びましょうね。それだけでめっちゃ頑張ってる証拠。

あ、それと攻撃的になっているあなたは今ド鬱です。薬飲んで寝ましょう。攻撃的って躁じゃないんです鬱なんです。不思議ですよね

しんどい要因はいっぱいけど生きてる

今日は朝から気圧のせいでしんどい。

今日は黄砂が飛んでるせいでしんどい。

今日は花粉が飛んでるせいでしんどい。

しんどい要因増えていくばかりですよね。

でも私もあなたも生きてる。周りに迷惑かけてない。

それって素晴らしくないですか?

私の祖父は私が生まれる前に自殺しましたけど、祖母は同じ村の人間に散々悪口を言われたそうですよ。ちなみに祖父も精神疾患持ちでした。

双極って遺伝するしないで議論してますけど。遺伝するとしたら私両方の家系からの遺伝で、双極になって当たり前みたいじゃないですかね。

あ、精神的暴力って何ぞや?と思われた方のために細かく説明すると、

私の父の場合、ネタを上げたらきりがありませんが、私たち母子を最大3時間ずーっと話しっぱなしで拘束したことがあります。

キレてますから、迂闊なこと言えない。よし今だ!と私が話題を変えてその拘束を解く。しかし、これは最近母に聞いたのですが、私が話題を変えたことを父は根に持っていて、寝る前に母に愚痴っていたそうです。

私が何が一番辛かったかって、母と弟が主に八つ当たりのターゲットにされていたことです。見てるだけで辛かった。聞いてるだけで辛かった。

私はなぜかターゲットにはされませんでした。むしろ機嫌を取ってくるので気持ち悪かったです。私も父の機嫌を胸糞悪く思いながらとっていたのでお相子ですかね。

まあそんなこんなでついに暴力に発展し、私が深夜に警察を呼び、父は精神病院行き。離婚届は父から出されたので母は喜んで記入をしたそうです。

離婚届出したのに早々によりを戻せるとか考えていたらしいです。各所にも迷惑をかけたらしく、ホント救いようがない。

私が警察を呼んで二階建ての階段を音を立てずに降りて行ったとき、その横を愛猫の「そー」ちゃんがするりと通り抜け、警察が来るまで一緒にいてくれました。どれだけ救われたかわかりません。


警察の方々が続々と家の中に入っていくのを見てびっくりしてクローゼットに隠れてしまいましたが、開けっ放しの玄関から飛び出さなくて良かったと今でもホッとしています。

そして私たちは速攻で祖母の家へ。深夜だったので電車も通っておらず、警察の方が乗せて行ってくれました。

まだまだ父のやらかしと私たち家族がとった行動はたくさんありますが、ここで終わりにしたいと思います。

読んでくださった皆様ありがとうございました。

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