対人が一番つらい。双極性障害のド鬱と愛猫の闘病が重なった日の話

つらい日

1. 「期待」という名の凶器

こんにちは。こんばんは。リセツです。

毎週レッスンをしています。何のとはあえて言うなら学術的なものです。元気な時なら「交流」でも、ド鬱の時は「義務」「無理」「無茶」「無謀」に変貌します。しかも今回はこちらの体調を聞かずに計画したものでした。

で、しかもレッスンに人が増える、さらに場所が変わる。
……健常な人には「些細な変化」でも、双極性障害の脳にとっては処理しきれないパニックの種です。これが五段階評価の③くらいならギリ行けたかもしれませんが、①状態の私には生きているだけで精一杯。

ここで一番きついのは、「悪意がない期待」です。
むしろ善意であることが多い。「大丈夫でしょ?」「これくらいなら来れるよね?」という、軽い確認。
でも、その軽さがそのままこちらの負担になります。

「行ける前提」で話が進んでいく。
「楽しめる前提」で場が作られていく。

その空気に乗れない自分が、どんどん浮いていく感覚。
まだ断っていないのに、もう参加することになっているような空気。

それが、じわじわと首を締めてきます。

元気なときなら「ちょっと面倒だな」で終わることが、ド鬱のときには「逃げ場がない」に変わる。
だから私は、「期待」が怖いです。
期待されること自体が、プレッシャーになる日があるのです。


2. 「プレッシャーで泣きそうです」の真意

勇気を出して伝えたSOSが、相手に届かない時の絶望感。そういう人だったわこの人。って思い直しました。共感力がまるでない。もう先生変えてもらおうかな。そんな風に考えたこともあります。

「プレッシャーで泣きそうです」と言ったとき、私はかなりギリギリでした。
言葉にするまでに、何度も飲み込んで、でも無理で、やっと出した言葉でした。

でも、それが軽く流される。
「大丈夫大丈夫」「気にしすぎだよ」と返される。

その瞬間に、ああ、この人には届かないんだな、とわかります。

もちろん、相手に悪気がないこともわかっています。
でも、だからこそ余計にしんどい。

理解されないというより、理解しようとされていない感覚。
こちらの「限界」が、相手の中では「気分の問題」に変換されてしまう感じ。

そのとき私は、少し冷めます。
ああ、この人とはここまでだな、と。

怒りというより、諦めに近いです。
それ以上説明する気力もなくなる。
そして、静かに距離を置こうと考え始めます。


3. 猫の病気と、自分の病気。どちらを守るか

「愛猫が闘病中」と伝えると、勝手なアドバイスや「一緒にしないで」という無責任な励ましが飛んでくる。私にとって猫は「家族」。その家族と同列にして何が悪いの?そう思ったこともありました。でも相手を傷つけたことも事実。そのときは言葉を飲み込んで悪かったと謝罪しましたが。いまいち納得はしていません。

猫は「ペット」ではなく、完全に生活の一部です。
むしろ、生活そのものと言ってもいい。

だから、猫がしんどいときに自分がしんどくなるのは当然です。
逆もそうです。自分がド鬱のときは、猫のケアも落ちます。

ド鬱だとブラッシングもろくにしてあげられません。
ご飯を出すのがやっと。
それでも、「カイ」ちゃんは生きていて、「しぃ」ちゃんは動き回っている。

このとき、私は思います。
まず自分の脳を守らないと、猫を守れない。

自分の状態が崩れると、判断も雑になります。
薬のタイミング、通院の判断、日常のケア。全部に影響が出ます。

だから優先順位は決まっています。
まず自分の脳。次に猫。

これは冷たい選択ではなく、現実的な選択です。
どちらも守るための順番です。


4. 賢明な「逃げ」と「シャッター」の降ろし方

100%無理な時は100%無理と断る勇気は必要ですよね。それが相手にとっての敬意だとも思っていますし。無駄な時間を取らせないですみますし。

リアルな人間関係で「ここから先は入らせない」という境界線をどこに引くか。正直SNSはやってないんですけど、対人がどうしても駄目な時がある。

相手を変えるのは無理です。けど、自分の「反応」は睡眠をよく取るとかで回復させてド鬱から逃げ出すことはできます。けど期待してしまう。なんででしょうね?

私は私が嫌いです。無茶をしていた時期がありましたが、最近は自分なりにコントロールできるよう、睡眠や頓服で体調を整えるようにはしています。ただド鬱だけは微妙に効果が薄い。

だからこそ、「シャッター」を下ろします。
これは逃げではなく、遮断です。

外からの刺激を減らす。
期待を遮断する。
関わる範囲を狭める。

そうしないと、脳が持たない。

でも不思議なもので、人はそれでも期待してしまうんですよね。
「今回は大丈夫かもしれない」
「今回は理解してもらえるかもしれない」

そしてまた、少し傷つく。

それでも以前よりは、引き際がわかるようになってきました。
「あ、これ無理だな」と思ったときに、ちゃんと引く。
頓服を飲む。寝る。予定を削る。

それができるだけでも、少しはマシです。

完璧にはできません。
ド鬱はやっぱりきついです。

でも、シャッターを下ろせるようになっただけでも、前よりは生きやすくなった気がしています。


今日もしんどい方へ。

無理なものは無理でいいと思います。
期待に応えられない日があってもいい。

それでも生きているだけで、十分です。

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