母が放った「自宅入院」というパワーワード
最近、母から言われた言葉が心に深く刺さっています。それは、私の今の状態を「自宅入院」しているようなものだ、という表現です。
母自身が私に直接言ったわけではなく、私と接する機会がある「とある人」に対して、私の現状をどう説明すべきか迷っているなかで出た言葉でした。
「入院」という響きには、強い強制力と説得力があります。どれほど健常者にとって軽いタスクであっても、入院中の人に無理強いはできません。
「自宅入院中」という設定は、私の心を守るための、母なりの深い愛情がこもった防壁なのかもしれません。
叔母との境界線:自分の荷は自分で負う
以前お話しした、同じく双極性障害を抱える叔母との一件。ド鬱の私に「自分のアカウントで買い物をしてほしい」と頼んできた彼女に、私は「初期設定は手伝うから、自分のスマホでやってみて」と伝えました。しかし、彼女の答えは「ネットは怖いから」という拒絶でした。
結局、私は深追いせず身を引きました。これは突き放したのではなく、適切な境界線です。聖書のガラテア 6章5節には、こう記されています。
「人はそれぞれ,自分の荷を自分で負うのです」
叔母が自分のリスクを避けたいがために、こちらにリスクを肩代わりさせるのは、やはり健全な関係ではありません。LINEを使いこなし、SNSの動画をチェックできる彼女なら、経験を積めばできるはずなのです。
けれど、彼女はその一歩を踏み出そうとしない。病気のせいもあるでしょうが、私は私で、母に支えられている身。人のことは言えませんが、互いに「自分の荷」を意識することは、双極性障害同士が共倒れしないための知恵なのだと感じます。
結局、私がルーティンをこなしている間に、叔母は別の親族を頼って自力で問題を解決したようです。どん底の鬱の表情を見せる彼女に、周囲が根負けした形かもしれません。
「鬱は移る」といいますが、周りも自分を守るために必死だったのでしょう。何はともあれ、解決して安心しました。
混合状態からの浮上と、4時間の「動けた」喜び
昨日は重い混合状態に苦しんでいましたが、2時間半の昼寝を経て、少しずつ波が引いていくのを感じました。起きてから4時間、家事などのルーティンをこなしたところで脳疲労が襲ってきましたが、「あぁ、4時間も動けたんだ」と自分を認めることができました。
母からも「4時間も動けてよかったやん」と言ってもらい、心がふっと軽くなりました。双極性障害を長年そばで見守ってきた人の言葉には、重みと説得力があります。
早朝に目が覚めてしまったときは、AIに相談しながら二度寝に成功するなど、自分なりの対処法も少しずつ馴染んできました。不快感なく起きられたのは、本当にラッキーなことです。
猫も「ぎっくり腰」になる?名医との二人三脚
さて、我が家の猫たちの話です。先日、抱き上げた際に猛烈に怒った15歳のおばあちゃん猫。
背骨の骨折や神経の異常を疑い、背筋が凍る思いで主治医のもとへ駆け込みました。なにせ、弟から預かっている大切な命です。
数日後、恐る恐る触れてみると、あんなに嫌がっていたのが嘘のように平然としています。結果として、診断は「ぎっくり腰」。
15歳という年齢を考えれば、無理もないことでした。再診時、先生も「ぎっくり腰でよかったね」と一緒に胸をなでおろしてくれました。一匹一匹の経過を親身に覚えていてくれる、まさに名医です。

一方、新入りの「しぃちゃん」は、隙間に入り込んでいた子猫時代が嘘のように、今や体重5kgの立派な体格に成長しました。
「体重を落とさないと……」というわけで、奮発して減量フードとデンタルケア用のふりかけを購入しました。出費は痛いですが、これもすべて、しぃちゃんが長く元気にそばにいてくれるため。
病を抱えながら、家族や猫たちと向き合う「自宅入院」の日々。騒がしくも、この穏やかな時間が続くことを願って止みません。



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